人、まち、自然。ふるさと日本、ありがとう。 民主党参議院比例区第68総支部長竹内栄一
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民主党参議院比例区第68総支部長竹内栄一
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平成22年5月3日
わが国の経済そして財政問題を考える (その1)


わが国で選挙前の世論調査をすると、いつも、”景気回復”が有権者の最大の関心項目に挙がる。勿論、国民の日常の暮らしが国の経済や景気の状況によって大きく影響される以上、国民の関心は当然のことである。特に1990年代初頭のバブル崩壊に始まった”平成不況“―典型的なデフレ不況は、既に約20年に亘って、我が国の経済社会に大きなダメージを与えてきた。昨年11月、政府も、公式に、デフレ宣言を出したが、残念ながら、未だに、有効なデフレ脱出策を打ち出せていない。このデフレの深刻さを端的に示しているのが大きな需給ギャップである。約30〜50兆規模であるが、これは、わが国のGDP約540兆の約一割に相当する。それに対応する需要が縮小、また不足して、供給力が遊んでいる。それに対応するだけの需要を新たに作り出せば、景気は回復できる筈であるが、その為、政府も民間企業も色々な景気浮揚策に努力してきたが、成功していない。 その政策の一つが政府による財政出動=公共投資である。

今、世界中が、2008年のリーマンショックによる世界金融不況を乗り切ろうと、大規模な財政出動を実施しているが、わが国の公的債務残の規模は地方を含んで862兆、と、GDPの約1.8倍に達しており、大規模の財政出動などは、とても出来ない相談である。因みに、今年の政府予算は92兆規模と最大級であるが、その財源は税収で、37兆、不足分は国債つまり、また国民からの借金で44兆という最大級の借金で、まかなうことになっている。また、わが国の経済の発展段階はある意味で、成熟段階にあり、所謂、”ハコもの“中心の従来の公共投資では、経済波及効果も、以前に比べて、落ちている。

では、内需の柱である個人消費の面では、どうか、民間企業も市場のニーズは何かと必至の模索をしながら、売れる商品の開発に懸命であるが、これまた、成功していない、消費性向はひたすら低価格へと流れている。これも、大半の人々は皆、物質的には最低限度の生活必需品を含めて一応の生活は出来る程度のものを持っているが、しかし、お金があっても、年金や、医療保険、また少子高齢化や人口減少等、将来のことに不安を感じて、人々の気持ちは当然、大きく節約志向に傾く。かつての3種の神器のように、生活様式を大きな変えるような画期的な新商品でも出てくれば別であるが、これも、また難しい。また、個人消費と言っても、中身は複雑で、需要と供給サイドの関係は性別、年齢、嗜好、世帯、家族構成、また資産状態等々の面で、多くのミスマッチがあり、単純に相関関係が成り立っている訳でもない。

では、何か、他には、対策があるのか、外需、つまり、輸出であるが、これも、重化学工業を目指す中国やインド、ブラジル等々含めて、新興国との貿易競争は厳しい。更に、企業の設備投資はどうか、これも、将来の市場の動向が不透明で、見通し難しく、企業には積極的な投資意欲は見られない。結局、この様な状況をあれこれ見ていると、わが国の経済はジリ貧状態にあり、全く、出口のない八方塞と言った惨めな状況にある。更に、経済事情の悪化は、わが国の社会全体の安定や安心にも多くの”負“の影響を及ぼしている。マスコミで毎日報じられる三面記事、例えば、毎年3万人を越える自殺者数、また家庭崩壊に絡んだ殺人事件の多発、老々介護の悲惨な実態、少子高齢化社会の行き詰まり等々を考えれば、誰にでも判る。結局、この様な先行き不透明な社会の状態が、国民の間に閉塞感や漠然とした将来への不安感を広く感じさせている背景であろう。本当に憂慮すべき事態であり、この国民の不安感を払拭して、国民に勇気を取り戻させるのは政治の役割である。

さて、ここで、視点を変えて見ると、経済の活動は、ヒト、モノ、カネ、そして、情報、これら基礎的資源を、そして、或いは、新しい技術を組み合わせて、生産から物流そして消費のサイクルである。そして、この様な経済活動を動かす主体は、資本主義市場経済の下では、供給サイドを担当する無数の民間企業であり、個人商店から世界的な巨大メーカーまで、利益を求めて、ヒト、モノ、カネを動かす。そして、作り出した製品/サービスを商品として、市場で売る、最終的には、最終需要者である一般の人々が消費者として買う。この様な民間企業主体の実体経済のサイクルのなかで、政府の果たしている役割は、何であるのか、それは、民間企業の経済活動を支援する、或いは、必要な公共的なインフラを整備する。その手段の中には、主として、財政、通貨、金融、また税制等も含むが、そして、これら手段を適宜、組み合わせながら、国民経済の立場から、民間の経済活動を促進したり、誘導したりすることである。その点で、政府の役割は、あくまで、補完的なものであるが、民間企業が安心して経済活動が続けられるのも、政府の支援は重要な要素であり、これなくして、民間の経済活動も発展しない。

国民の生活を守ることは、政府の責任であり、経済という言葉そのものが、経国済民という言葉であり、その意味は国を安定的に統治して、国民の生活の安寧を図るということである。唯、現実には、政府の出来ることは、あくまで、民間企業の自由な経済活動を支援することにあり、その点はよく理解しておくべきである。自由な創意と工夫で、自己責任で企業活動に活躍する”民間企業”は、国民経済を豊かにする実質的な役割を担っており、正に、金の卵を産む宝である。

現在の低迷する経済状況の中で、民主党は“コンクリート から ヒトへ”というスローガンのもとで、内需を重視した経済政策を展開しようとしている。今年の予算の特色は、政府のコントロールできる主な政策手段すなわち財政や税制等を発動して、内需刺激策に重点を置いていることである。つまり、国民に直接、カネを渡して、家計を支援して、個人消費を増やそうとしている。この方策は国民に直接、目で見えるかたちで国民にアピールできるし、民主党への支持を取り付けるにも有利だと判断したのであろう。しかし、この様な政策の問題点は、その政策効果がはっきり検証できない点で、“カネのばらまき”との批判も強い。今回導入したこの種の政策の典型が“子供手当て”や”高校無償化“等である。この様な政策は、個別的な性質のもので、国民経済の全体的な政策体系の中で、どのように、位置づけられ、どのような効果や結果を生み出すのかも、理論的にはきちんと検証されていない。一旦導入したら、一種の既得権となり、後で簡単に取りやめるのが政治的に難しい。このような大きなバラマキ政策を継続するには、当然、恒久的な財源の裏づけが必要となるが、現在の厳しい財政事情ではそこもはっきりしない。

更に、それ以外に政府に何か政策手段があるのかとなれば、減税ということが考えられるが、現在のように税収が大きく落ち込んでいる以上、先ずは無理というしかない。その他の策となると、よく言われる、所謂“無駄遣い”を失くせとか、或いは、“埋蔵金“を探すことぐらいである。“事業仕分け”と称して今も、マスコミでは大きく宣伝しているが、これも大切なことには違いないが、所詮、消極的な意味しか持ち得ない。やったところで、単発的で、回収されるカネの規模も限られている。そして、究極の非常手段となれば、増税という荒療治であり、直接的には消費税引き上げの議論である。しかし、これは下手をすれば更に個人消費が落ち込むだけになるかも知れない。また、政治的なリスクが大きい選択肢であり、政府として決断するのは容易ではない。

今年度の予算では、結局44兆の国債発行で、つじつまを合わせたが、来年以降、この様な巨額な国債発行ができるのかと言えば、絶対出来ない。本来、財政は収支が均衡していることー財政規律が守られることが正常であり、EUでは厳しい財政規律が決められている。我が国の財政が、仮に、国債残を含む公的債務が1、000兆を越えたら、国際金融の世界では、国債の格付けは下がり、長期金利は上がり、”円”の価値は暴落する危険も高く、実質的に“破産状態”になるのでないか。例え、個人金融資産が1,500兆ある、国債を保有するのは日本の個人や金融機関だと、言っても、わが国の信用は大きくダメージを受けるのは不可避である。

現在、民主党の経済政策の問題点は、経済の論理に立脚した確固たる長期的な成長戦略なり戦術がないということに尽きる。勿論、誰が政権を担当しても、わが国の経済状態は極めて厳しい局面にあり、簡単に、何か一発で、起死回生を実現できるような重宝な策などないし、結果を出せるような成長戦略なり、戦術を画くことは実際、極めて難しいことはよく判っているが、国民の付託を得て、政権党となった以上、この財政赤字は歴代自民党政権の失政の結果だと言って、自分たちに責任はないと主張しても、それは国民には全く通用しない理屈か言い訳でしかない。

この様な閉塞的な経済状況の中で、本当に実効性のある長期的な戦略や戦術を構想するには、もう一度、今回のバブルが、どうして生まれ、どうして崩壊し、それに対して、どの様な対策を考え、どのように実施してきたのか、どうして、それが効果を出せなかったのか、どうして、こんな長い間続いているのか等々、徹底的に調べ上げることから始めるしかない。勿論、既に多くの政策検討や議論、そして研究が専門家も含めて、されてきたであろうが、もう一度、政権与党としての立場から、きちんと整理する必要があると思う。

標準的な経済学の教科書には、インフレ対策はいろいろ書いてあるが、デフレ対策について殆ど書いていないと聞いたことがある。限られ記憶で言えば、デフレと言えば、1930年代のアメリカの大恐慌に対するルーズベルト大統領の大規模な公共投資と、ケインズの有効需要の理論、或いは直近の出来事として、2008年のリーマンショックに起因する世界金融危機ぐらいである。その意味では、わが国で経験しているこのデフレは世界経済の歴史の中でも、特異な出来事であったかもしれないし、そうであれば、政府のとった政策が失敗だと責めても、余り意味はないであろう。日銀の行ったゼロ金利政策など,全く、普通の経済の常識からは考えられないことである。

今、例えば、中国、今回の世界金融不況のなかで、大規模な財政出動でひとり景気回復に成功している感があるが、そこでは、バブルの状況に近い現象が現れており、バブル崩壊をどう防ぐか、どんな対抗策が効果的なのか、彼らは日本を反面教師にして、わが国の経験を徹底的に研究していると、どこかで読んだことがある。これら事情を考えると、デフレは一旦起こると、それから脱却するのは、容易ではない、実に、困難な問題であることがよく理解できる。しかし、経済の活動は理論だけではない、景気という言葉どおり、“気”すなわち人間の心理が深くかかわっている。経営者が積極的に投資を決断する、お金持ちの中高年者がモノをどんどん買うと言ったことも、元気や勇気や、そんな明るい気分によって、決める。政治の役割と責任は、国民に、どうしたら、元気を取り戻させることが出来るのか、知恵を出し、この深刻なデフレ不況から、国民を救い出すことである。我々も本気で取り組まねば、このまま,わが国の経済は沈没して、国も滅びてしまう危険が本当にあるということでもある。

(次回つづく)



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